『国体論及び純正社会主義』全現代語訳

ご利用にあたっては、下記注意事項をお読みください
注意事項

 

 1.この現代語訳は、『国体論』の読解を助ける資料を提供しようとするものであり、北一輝(北輝次郎)の顕彰を目的としたものではありません。

 2.現代語訳にあたっては、『北一輝著作集第一巻』(みすず書房・1959)と『北一輝思想集成』(書肆心水・2005)を底本とし、現代語訳においては『北一輝思想集成』の割注を参照しました。
 『著作集』及び『思想集成』で触れられていない校訂上の問題については、現代語訳の過程で気づいた限りにおいて、注で取り上げていますが、全般的な校訂は行っていません。

 3.『国体論及び純正社会主義』は、洋の東西を問わず、極めて多岐にわたる事象が取り上げられ、文献からの引用がなされています。読者の理解を助けるため、注を付し、引用文についてはできる限り出典も明らかにしました。しかしながら、訳者の能力にも限界があり、未解明になっているものもいくつかあります。

 4.この現代語訳は決定版と言うべきものではなく、誤訳を恐れずに公開するものです。鵜呑みにせず、現代語訳の妥当性を検証するような心づもりでお読みください。

 5.原文では、極めて多数の眉批が付されていますが、読解上の役に立つものとは言えないため、全て削除し、代わりに訳者において新たな節への区分けを行いました。原文を改変するとの誹りを受けるものと承知していますが、読みやすい現代語訳を目指した実験としてご理解ください。

 6.当サイトについては、リンク設定の制限はしません。
 

著者略歴
 明治十六(1883)年四月三日、新潟県佐渡島において生まれる(本名は輝次。明治三十六年に「輝次郎」に改名)。学生時代は成績優秀であったが、幼い頃から患っていた眼病のため、明治三十三(1900)年に佐渡中学校を退学。
 明治三十八(1905)年、上京して早稲田大学で講義を聴講生する一方、図書館に通いながら『国体論及び純正社会主義』の原稿の執筆に取りかかる。明治三十九(1906)年五月九日、『国体論及び純正社会主義』を自費出版。片山潜、河上肇、福田徳三などの賞賛を受ける一方、不敬との批判を受け、五月十四日発禁処分を受ける。この本を契機として、幸徳秋水、堺利彦らとの交流を持ち、革命評論社の誘いを受け、中国革命同盟会に加盟。以後中国革命の軍資金集めに奔走する。 
 明治四十三(1910)年、大逆事件の検挙が始まり、一時引致されたが、辛くも釈放される。明治四十四(1911)年、渡中し、以後宋教仁らの勢力と結んで活躍した(この間に間淵ヤス〔後のすず子〕と結婚)。盟友の宋教仁が暗殺された後、国外退去処分を受け、日本に一時帰国するが、大正五(1916)年、再度渡中。大正八(1919)年八月、『国家改造原理大綱』(のち『日本改造法案大綱』に)を執筆。大川周明による招きに応じ、日本に帰国。猶存社に参加し、門下生を多数養う。右翼、左翼を問わず、種々の勢力と交流を持つ一方、法華経の誦経、霊告と呼ばれる降霊術を盛んに行い、宮中某重大事件等政界を巡る数々の陰謀に暗躍。後に門下生となった西田税らを通じて青年将校らの信奉を得て、国家改造運動の頭目と見られ、二・二六事件の首謀者(ただし、直接行動には参加せず。)として逮捕され、昭和十二(1937)年、銃殺刑に処された。
 
 
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobe Systems社のサイトからダウンロードしてください。

 
  『国体論及び純正社会主義』現代語訳はこちら

緒言.pdf 『国体論』緒言の現代語訳 PDFファイル
国体論第一篇第一章.pdf 『国体論』第一篇の現代語訳 PDFファイル
国体論第一篇第二章.pdf
国体論第一篇第三章.pdf
国体論第二篇第四章.pdf 『国体論』第二篇の現代語訳 PDFファイル
国体論第三篇第五章.pdf 『国体論』第三篇の現代語訳 PDFファイル
国体論第三篇第六章.pdf
国体論第三篇第七章.pdf
国体論第三篇第八章.pdf
国体論第四篇第九章.pdf 『国体論』第四篇の現代語訳 PDFファイル
国体論第四篇第十章.pdf
国体論第四篇第十一章.pdf
国体論第四篇第十二章.pdf
国体論第四篇第十三章.pdf
国体論第四篇第十四章.pdf
国体論第五篇第十五章.pdf 『国体論』第五篇の現代語訳 PDFファイル
国体論第五篇第十六章.pdf


トップページへ戻る

inserted by FC2 system