『国体論及び純正社会主義』のページへようこそ
 


このホームページでは、北輝次郎著『国体論及び純正社会主義』の現代語訳を掲載しています。

『国体論及び純正社会主義』は、北一輝の処女作にして出発点となった著作です。北一輝という人物に迫る上で必読の文献です。一方で、片山潜、河上肇など多数の著名な社会主義者に絶賛され、日本の名著の一つに挙げられています。かの総理大臣岸信介も若き時代にこの書を読み、大きな影響を受けたと言われています。
 ところが、残念なことに、『国体論及び純正社会主義』は、一般の読者には極めて近づきがたいものになっているのが現状です。その理由としては、@著作の入手が難しいこと、A文体が古いうえに、非常に難解であること、が挙げられます。 
 我々が入手できる『国体論』には、以下のものがあります。

 @初版本など戦前から流通していた版
 A『北一輝著作集第一巻』(みすず書房)
 B『北一輝思想集成』(書肆心水)
 C『日本の名著』(中央公論新社)

 戦前は発禁本であったため、@は流通量がごく限られており、古書店で探すことも容易ではありません。Aは@よりは入手容易ですが、旧字体、旧仮名遣いという体裁のため、読解が容易でない他、著作集という性質上流通量が限られています。Bは、二〇〇五年に発刊されたもので、新字体、新仮名遣いで編集され、難解な言葉等に注が付されています。従来の版と比べてかなり読みやすくはなっていますが、やはり流通量が限られています。Cは中公バックスシリーズのため、一般の書店でも入手しやすいのですが、かなり省略が多いという弱点があります。図書館でA、Bを探すのが手っ取り早いのですが、閉架図書になっていることが多く、実際のところ、図書館でも容易には読めません。
 また、北一輝の著作は、どれも文語体で書かれており、文章が難解であると言われています。橋川文三博士は、次のように言っています。
 
 北の著作のいずれをとっても、その思想表現がかなり特異なものであって、その文辞の奔放さに眼を奪われていると、しばしばその論理的脈絡を見失ってしまうことが少くないということである。要するに、北はその後年の盟友であった大川周明のように明晰達意な文章の書き手ではなく、またどこか文体上の相似性を示している幸徳秋水のように格調正しい名文家というのでもなかった。その文体はいわば詩人的な奔放さと予言者的な飛躍にみちており、時として同じ対象について、逆説的な修辞を用いるというような例も少なくない。故服部之総氏はそうした北の特異な表現法に関連して「北学」といういく分皮肉な名称を与えている(橋川文三「国家社会主義の発想形式――北一輝・高畠素之を中心に――」[日本政治学会編『日本の社会主義』〔有斐閣・一九六八〕所収]一〇七頁)。

 酒屋の長男坊の自由奔放な生き様が文体に反映されていると言えばそれまでですが、高等教育を受けていないという点が、影響していることは否めません。学者をして「難解」と言わしめるのですから、一般の読者にとっていかに壁が高いかは容易に想像できるでしょう。
 このような状況にあっては、現代語訳を出版することが望まれるところですが、研究者が多いとは言えない現状に鑑みると、とても望めそうにはありません。詳細な注解を施した普及版でもせめてと思うところですが、昨今の出版情勢を見ると、それも厳しいでしょう。この度公開する現代語訳は、自らの理解のために作成したもので、公開を予定したものではありませんでしたが、上記の事情に鑑み、たとえ素人の訳でも読者諸氏の役に立つと考え、公開を決断した次第です。素人による訳のため、万全のものではないことを予め断っておきます。
 奇しくも、私は、北一輝とちょうど百歳違いの世代に当たります。北一輝を研究する先学を差し置いて、かかる所為を行うことは僭越な行為とも思えますが、北一輝とは何者であるかを知るための材料を提供することは、この世代に課せられた使命であると思い、敢えて行う次第です。 

 北一輝と百歳違いの世代の一人として
平成23年10月20日    樋口慎也

 

『国体論及び純正社会主義』全現代語訳サイト

 なお、『国体論』については、現代語訳の傍ら、英訳を試みています。英語として適切な表現になっているか十分な検証は経ていませんが、暫定版としての英訳の公開もいくらかの利益があると考えましたので、別のページで公開します。
『国体論及び純正社会主義』の英訳は、下記サイトをご覧ください。

『国体論及び純正社会主義』英語版サイト



 

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